20240629

エディトリアルデザイン・演習

大阪電気通信大学 総合情報学部 デジタルゲーム学科, ゲーム&メディア学科 前期開講科目

編集によるコンテンツバリューの向上と印刷メディアの現在

第12週:07月01日

0)出席登録

MyPortalから出席登録をおこなってください。

授業内で指示するコードを入力してください。

1)課題[雑誌 記事広告のデザイン]5 組版作業・提出

■ 課題要件

判型:A4サイズ(210mm×297mm)

見開きA3サイズ(420mm×297mm)・2つ折り・4ページ

PDF形式に書き出したカンプを最終形態とします。

見開きの片面ずつ2枚に分けてカンプを作成してください。

面付けは以下のとおりです。

ヨコ組の場合

タテ組の場合

■ 課題制作スケジュール

07月01日 組版作業・提出

07月08日 レビュー

A3_mihirakiformat_cs5.ai

組版に使用する見開き2ページ分のレイアウトフォーマット

2)レポート試験

レポート試験は課題[雑誌 記事広告のデザイン]コンプリヘンシブレイアウトのPDFデータの提出とします。

Illustratorで編集したコンプリヘンシブレイアウトは、すべてのオブジェクトを選択し、フォントのアウトライン化を実行しておいてください。

ファイルメニュー → 別名で保存... を選択。

 フォーマット:Adobe PDF

 名前:edi5_学生番号.pdf(例:edi5_hb00a000.pdf)

Adobe PDFを保存 の入力画面において以下のとおり設定してください。

 互換性のある形式:Acrobat 8 

 オプション項目の以下のチェックを外してください。

  □ Illustrator の編集機能を保持

  □ サムネイルを埋め込み

 PDF を保存 をクリック。

Moodleのページのトピック[レポート試験]から提出してください。

提出締め切りは07月19日(金)23:59 です。

前期成績評価提出の都合上、期限を過ぎると提出できなくなりますので、注意してください。

また併せて、MyPortalでの出席登録の修正、これまでの課題提出についても同じく07月19日(金)23:59 で締め切ります。

問い合わせのある場合は、Moodleに記載のメールアドレス宛にその旨連絡をください。

PDFのファイルサイズを小さくする方法

https://helpx.adobe.com/jp/acrobat/kb/222542.html

3)編集とは何か

編集はドイツ語では「Redaktion」、その語源であるラテン語「redactus」は「整序する」という意味を有し、英語、フランス語の「edit」は出版という語源から転化したものです。ラテン語の「editio」とは「外なる形にして表す」の意であり、「編集する」という内容にあたるラテン語の動詞「edo」には「生(産)む、実現する、演じる」「知らせる、広める、出版する、発行する」「発する、つくりだす」といった意味を見ることができます。これは総じて形の見えないものに「かたち」を与え、「地」の上に「図」を可視化していく営みを指しているといえるでしょう。

一般的に「編集」は出版、映像などの分野で用いられる用語ですが、人間は社会との関わりにおいて、「見て解釈し、それを明らかにする」という、情報の抽出・関係化・解釈といった「編集」をおこなっており、また、政治や学問、商品もすべてが「編集」されていると捉えることができます。人間とは編集する生きものであるとも考えられるのです。

1963年に梅棹忠夫は『情報産業論』を発表し、物質やエネルギーを生産する従来の工業化社会とは異なって、情報産業は「情報」を売って文化的効果を生みだす精神産業であり、工業社会における「商品」の概念や経済理論が通用しない、まったく新しい種類の産業であると規定しました。また、産業の発展を、農業、工業、情報産業の三段階に分類し、これを生物学的アナロジーを用いて、内胚葉産業、中胚葉産業、外胚葉産業の時代と呼びました。すなわち、農業は消化器官系を充足させることを目的とし、工業は機械によって人間の骨格系、筋肉系を代用することを目的とし、情報産業は脳神経系の充足を目的としている、という対応関係を成立させているのです。さらに、当時はまだ到来していない情報産業時代の価格決定原理を「お布施の論理」と指摘し、商品の記号的価値における内示的意味の存在を示唆していることも注目に値します。

『情報産業論』『情報の文明学』を通して梅棹忠夫が強調することは、文明の成立過程や文化の成熟過程が情報の編集によって進んできた、ということであり、巨大化し、多様化する情報社会の展開においては、工業の時代における技術者群に対応するものとして、広義の「編集者群」の存在を指摘し、編集者は情報産業における技師(エンジニア)であると規定しているところです。

「編集」とは、該当する対象の構造を読み解き、それを新たな意匠で再生することを意味します。

「編集」というしくみの特徴は、人々が関心を持つであろう情報のかたまりを、どのように表面から奥に向かって特徴づけていくかというプログラミングであるでしょう。

さらに、梅棹の著作から国語教育の問題に触れた論考を紹介します。

「文学」を「美術」に、「文章」を「デザイン」に置き換えると、そのまま現代のコンピュータをツールとした情報デザインについての考え方につながるものだと思います。

11 文章

国語教育の問題

文学を、わたしは否定しているのではない。芸術的な文章は、もちろんある。しかし、知的生産の技術として、訓練を必要とするのは、むしろ非文学的な文章である。文学作品は、あまりお手本にならないとおもう。

むかしは、文章は、文字のうつくしさと、つよくむすびついていた。「書」ができなければ、文章をかく資格がなかった。文章は、かいた文字の造形芸術的価値と、わかちがたくむすびついていたのである。字がへただから、手紙をかかないという人が続出したのは、もっともなはなしであった。字のじょうず・へたが、文章の価値を決定したのだから。 近代日本語が、文章を書道から解放することに成功したのは、大進歩であった。文章は、造形芸術から独立して、独自のものとなりはじめたのだ。わたしは、これをさらに一歩すすめて、文章を文学から開放しなければいけないといっているのである。文章を、言語芸術から独立した、純粋なコミュニケーション手段として発達させなければなるまいというのである。

現実には、文章の教育は、ほとんど文学作品を通じておこなわれているようである。国語の授業は、しばしば国文学の授業と混同されている。そして、国語をおしえる教師のおおくの人が、国文学の出身で、文学への指向性が異常につよいのがふつうである。 今日においては、すこしちがったかんがえかたを、してみる必要があるかもしれない。国語と国文学は、まったくべつの教科とかんがえては、どうだろうか。国文学の授業は、国文学専攻人がうけもてばいい。しかし、国語の問題、ひいては文章の問題は、むしろ、情報工学の問題としてかんがえたほうがいいのではないか。

大学でいえば、工学部に情報工学なり言語工学なりの学科をつくり、その出身者が担当するようにするのである。

やや急進的な意見かもしれないが、将来の日本文明における知的生産の技術、とりわけ、文章によるコミュニケーションの重要性をおもって、こういうこともかんがえてみたのである。

梅棹忠夫 著「知的生産の技術」岩波新書 P.213より

梅棹忠夫

うめさお・ただお

1920−2010

民族学者。理学博士。京都大学教授を経て、1974年国立民族学博物館初代館長となりました。朝日賞、文化勲章など受賞。著書に『文明の生態史観』『日本とは何か』などがあります。

インデックス担当授業の資料エディトリアルデザイン・演習

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